被災地の方々にお見舞い申し上げます
ほんとうにすごいことになってしまいました。
いろいろな情報で、いつか起こると聞いていましたが、まさかです。
わたしはちょうどその時、追分の自宅でお掃除をしていました。
掃除機のゴーという音に混じって、向こうの部屋から、うちのワンコたちが異常に騒ぎ出したものですから、誰か来たかしらくらいに思ってベランダを覗いたら、ベランダの向こうの母屋が揺れていました。
次第に横揺れがひどくなり、ワンコたちを脇に抱えてベランダの真ん中には危険物がないということで、中央に立ちすくみました。
ずいぶん長く揺れてから次第に静かになり、それから慌ててテレビをつけると、アナウンサーが海辺の町に避難を必至で呼びかけている声でした。
今も夢の出来事のように感じている反面、ほんの少し前にブログに書いた仙台の兄のことなどもあり、恐ろしさと不安が胸を渦巻いています。
ちなみに、兄からの情報では、やはり仙台のライフラインは復旧のみこみがないそうです。
そんなわけで、兄は昨日、東北大学とともに教鞭をとるために通っている山形大学の近くに借りているアパートに疎開したそうです。
米沢は電気も通っているとのことで、3日ぶりにお風呂に入れたといっていました。
途中のガススタンドにはもはやガソリンがなく、到着までぎりぎりでなんとか間に合ったということでした。
以前見た断層マップで、軽井沢の地下には断層がなく、かなり安全のはずですが、それが震度4とは。
実は、軽井沢に移住を決めた主な理由は、住んでいたマンションが老朽化していて、国からの耐震工事の補助金も出ないであろうという耐震診断結果が出たことが理由でした。
震度5で絶えられるかわからない、窓をすべて鋼鉄で覆ってしまうくらいに工事しないと耐久性はまるでないといわれました。
特に1階がピロティ構造、2階が半ピロティ構造で、更には我々の住んでいた6階から上が5階以下と構造が違っており、つまりは接木してある6階は真っ先につぶれてもおかしくないといわれました。
そこで、半端でなく行動力のある我々(注:ここは笑うところです!)は、約3ヶ月でとるものもとりあえずこっちに引っ越してきました。
あの時、踏み切っていてよかったです。
いつもマンションの下から上を見上げては思っていました。
地震で「倒壊の危険性があるから」と入れなくなったこのマンションの自分たちの部屋に、お留守番で残されたワンコたちが待っていたら・・・・。
すべて捨てるつもりで移り住んだ軽井沢でした。
写真は地震の次の日の追分の空。
完全とはもちろんいえませんが、軽井沢は今日もライフラインはすべて大丈夫です。
まだかなりの確率で余震が懸念されています。
もしもこちらに別荘がある方、しばらく様子をみながら軽井沢で暮らしませんか?
なんだかまとまりのないブログになりましたが、被災地の方がたへ思いを馳せつつ、
また、お亡くなりになった方々のご冥福をお祈り申し上げます。
Comments
仙台のお兄様がいかがだったかと気がかりでしたが、不自由ながらも
御無事で良かったです!
昨年末に軽井沢に越して来ました。以前の東京の住居だったら
水槽を押さえながら怯える犬をなだめつつ、自らも震えあがっていた
ことでしょう。
報道で目にする光景は、まことに不条理。。
何もできませんが、節水節電、贅沢をつつしまないと。
目をみはるような 光景がつぎつぎ・・・・と毎日TVで流れ
ひとごとではありません。私たちの方も以前から 東海沖地震・津波と常に騒がれていますからどうなるかと不安もあります。夫が言うにわ 追分に家があるからと・・。
我が家を見回っていただき ありがとうございまいた。
安心しました。
兄にまでご心配、ありがとうございます。お陰さまでなんとかやれているようでひと安心です。
東京の友人たちとも状況を連絡とりあっていますが、ガソリンなどのエネルギー関係はもとより、スーパーでも売り切れ続出だそうです。普通に暮らせているわれわれが節約生活をすることが、ますます重要ですね。もちたぼさんのご意見に大賛成です。
わたしたちも東京にいるときには「首都圏直下型地震」という文字に恐れおののいていました。
それこそ東京は1週間に1~2度の頻度で震度3くらいの地震が発生していましたので。
今回の地震があるまで、ありがたいことにまるっきり忘れきっていました。
しかして、被災地が違っても、やはりその影響は確実にあるものですね。
日本がひとつになって乗り越えなくてはならない課題ができたと、自分なりにもっと精進することを考えています。